[ ブログ始めました!]韓国生活5週目にしてようやくブログを開設!

こんにちは!Kyokyoと申します。

今までやろうやろうと思とは思いつつ、先延ばしにしてきたブログ開設。ワーホリ3年目にしてようやく重い腰を上げて始めました!

ホームペイジ作成はおろかブログを書いたことも無い私なので、地道に書き続けながら勉強していこうと思います!

今回は私がワーキングホリデーをするに至った経緯を紹介したいと思います。

目次

大学時代

2019年、当時大学3年生だった私は大学院試験に向け勉強をしていました。特にこれといった夢も無かった私は周りと同じように適当に勉強して適当に就職するものだと思っていました。

大学3年といえば本格的に将来について考えなければいけない時期です。周りは既に行きたい研究室や就職先を決める中、私はただ院試の勉強をしていました。しかし目標がなければ勉強に全く熱が入らず、院試に何の意味も見いだせなくなっていました。

そんな時友達がふと私にある話をしてきました。

ワーキングホリデーって知ってるか? 友達が行くらしいけどいいよなあ

私はワーキングホリデーという言葉は知っていたものの、一体どんなものなのかは全くわかりませんでした。なんとなく気になって調べてみると、

海外で働きながら1年間暮らすことができる制度で、就労ビザを必要とせずに住むことができる。

ということを知りました。夢も目標も無かった私でしたが、なにか新しい事に挑戦したいという気持ちだけ持っていたたため、ワーキングホリデーにはとても惹かれていました。

小さい頃から洋画や洋楽が好きで海外にはとても興味があったのですが、海外なんて遠い世界だと思っていました。

しかしワーホリについて調べていくうちに、これは自分の人生について何か良いきっかけになるのではないかと考えるようになりました。そこで母親とも相談し、私のやりたいことを応援してくれると背中を押してくれたため、大学卒業後にワーホリに行くことを決めました。

何事も決めたら早い私は、院試の勉強をきっぱりやめ、英語の勉強を本格的に始めました。

院試を受けないことを周りの友人に伝えると、かなり批判的でした。笑

お前ワーホリなんて就活で不利でしか無いぞ

ただの現実逃避じゃん。院試だけは受けとけよ

しかし、私はやっぱり自分に正直に自分のやりたいことをやろうと決めました。

就活に不利だと言うのは散々聞かされましたが、どんな経験も生かすも殺すも自分次第。まわりにどうこう言われることを鵜呑みにするより、自分でしっかりと自分の道を歩こうと決心しました。

コロナ蔓延

大学3年の12頃。コロナに関するニュースがじわじわと出てきました。

また中国で変なウイルスが流行ってるんだな

最初は気にも欠けていませんでしたが、大学4年になる頃には非常事態宣言がだされました。この辺から私のワーホリの夢は大分雲行きが怪しくなっていきます。

大学4年になり研究室に配属されましたが、講義はほぼzoomで行い実験だけ大学に行くという感じになりました。

この時期は、コロナが一体いつまで続くかわからず、ワーホリに行けるかも分からず、院試も受けてないので大学院に行くこともできずと、大分気が病んでいました。笑

大学卒業後、バイトとして就職することを決意

コロナが全く収まる気配がないまま大学を卒業してしまい、途方にくれていました。

この時期(2021年)はオーストラリアは海外からの入国拒否状態だったため、ワーホリの申請をすることすらできませんでしたし、いったいいつからワーホリが再開するのか、もしかしたら5,6年はこのままの状態かもしれない、ととても不安な状態だったので、将来について今一度考えなおさらなければなりませんでした。

さすがに3年も4年もバイトのまま暮らしていくのは社会人としてまずいという感覚はあったので、

2年間ワーホリが再開しなかったらワーホリは諦め就職することを決めました。

大学卒業から1年後、ついに!

バイトを始めてから1年、ようやくオーストラリアのワーホリが再開しました。すぐにワーホリ申請をしました。

申請したその日に認可がおりました!

そこから半年間、語学学校の予約や家探しなどワーホリの準備に追われました。

コロナのせいで1年半ほど遅れてしまいましたが、無事2022年にワーホリに行くことができました!

ここまでが私がワーホリに至った経緯です。紆余曲折色々ありましたが、今はあの時の決断は本当に良かったと思います。オーストラリア1年、カナダ1年を終えて、日本では経験できない様々なことができ、自分の人生にとってかけがえのないものとなりました。

ワーホリに迷っている人は私の経験を参考にぜひ前向きに考えて見てください!

では!

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